−お名前、年齢、格闘技キャリア、戦績、現在のご活動を教えてください。
・栗原啓二(くりはら けいじ)
・昭和49年9月1日生まれ 34歳
・フルコンタクト空手道 16年5ヶ月 (2008年9月現在)
・主な戦績
1994年 白蓮会館主催 第3回 東日本新人空手道大会 重量級 優勝
1996年 IBEA講武館主催 第10回 国際交流空手道大会 軽量級 優勝
1998年 白蓮会館主催 第14回 全日本空手道選手権大会 軽中量級 第3位
1998年 極真会館(現・新極真会)主催 第15回 全日本ウエイト制空手道選手権大会 軽中量級 ベスト8
・現在の活動
『空手道MAC』というフルコンタクト空手道の団体の千葉支部(1994年4月開設・市川市塩浜市民体育館)と江戸川支部(2003年4月開設・江戸川区南小岩の常設道場)で支部長をしております。
選手としては98年の大会で一区切りをつけ、支部の運営や指導者として一週間に合計23本の稽古を一人でこなす贅沢な毎日です。
−栗原さんは、様々なアウェイの試合経験をお持ちだと思うのですが、現役生活で最も印象に残った試合はどの試合ですか?試合展開なども詳しく教えてください。
97年11月に行われた、白蓮会館主催、第13回全日本空手道選手権大会の3回戦で戦った白蓮会館 鎌倉支部所属の野見山 剛選手との試合がもっとも印象に残っている試合です。
小柄ながら右の重い鎖骨への突きがとプレッシャーの強さが印象的な野見山選手でしたが、自分も固めたパンチと膝蹴りを中心に応戦しお互い決定打がなく本戦、延長戦と引き分けが続き、再延長戦の末、決着がつかず体重判定の結果、私の方が1〜2kg重くて体重判定負けになってしまいました。
結果は伴いませんでしたが、全日本大会の大舞台の上で最後まで諦めず、心が折れず残りのエネルギーを振り絞って戦った再延長戦は今でも忘れられません。
残り30秒位でもうエネルギーが枯渇状態、乳酸も貯まりまくってダメだと思いましたが、あれが俗に言う『火事場の〇〇力!』なのでしょうか?歯を喰いしばり打ち合いに応戦していました。
持っている力を全部搾り出せた試合内容だったので、自分の心のベストファイトです!
また、社会人1年目の年で生活環境や練習環境も大きく変わった中で自分なりに試行錯誤しながら先生や先輩、道場の仲間などの協力もあり試合までこぎつけた思い出の大会でした。
ちなみに、当時付き合っていた彼女(現在の妻)に大阪行きの新幹線のキップを渡して初めて空手の試合を見に着てもらいましたが、時間の関係で見られた試合はこの野見山選手との試合だけでした。それ以降、空手の試合は見に来た事がないので最初で最後が負けた試合になってしまいました。
『火事場の〇〇力!』は、筋肉の心理的限界(本来筋肉が持っている最大限の力に抑制がかかった状態)が何らかの理由により生理的限界(本来筋肉が持っている最大限の力)近づく事を言いますが、この時の自分の心理的限界のリミットが上がった理由は、試合前の追い込んだ稽古はもちろんですが、彼女にかっこ悪い所を見せたくないという心理が働いていたのかもしれません…。
−この人は半端なく強かった、という対戦相手はいらっしゃいますか?印象なども教えてください。
まず1人目は、白蓮会館のトップファイターの一人、播戸一幸選手です。
94年の白蓮会館主催の全日本大会の軽中量級のチャンピオンであり、97年には他流派ながら極真会館主催(現・新極真会)全日本ウエイト制大会の軽中量級で準優勝に輝いた選手です。自分は、白蓮会館の全日本大会にて2度対戦経験(95年、96年ともに3回戦)があります。結果は言うまでも無く惨敗でした。特に初めて対戦した95年の時の事は、今でも忘れません。
この大会が全日本大会のデビュー戦で、素手・素足も初めての経験でした。今まではパンチンググローブや脛サポーターを付けての新人戦しか経験していなかったので、素手・素足に対して凄く恐怖感がありました。
しかし1回戦、2回戦とアドレナリンの効果か、さほど違和感も無くかえって自分のパンチの当たり具合が素手の方が感触がいいので調子が良いくらいでした。
しかし…。 3回戦で対戦する播戸選手は前年度のチャンピオンです。しかも以前、自分の師匠(空手道MAC茨城支部 支部長 吉原 悟先生)も播戸選手には敗れています。ただでは済まないなぁと思っていましたが…。
開始の太鼓が鳴りお互いが近寄りファーストコンタクト!
まず自分から、バン!バン!バン!と3〜4発パンチを打ちにいきました。ビクともしません!
そして、次にその時は訪れました!播戸選手がお返しとばかりに、ゴン!ゴン!ゴン!ゴン!ゴン!
自分はあまりの衝撃に、このわずか数秒間で素手・素足の…。いや、本当の空手の恐ろしさを体感しました。
本気で死んでしまう!と思ったのはこの時が初めてです。
恥ずかしながら戦っている最中は恐怖で涙目になっていました。
地獄のような2分間は終りました。
あのパンチの衝撃は一生忘れません。ゴン!ゴン!ゴン!ですから…。
1年が経ち素手・素足の大会も関東で一回経験し、翌年、再び白蓮会館の全日本大会に戻ってまいりまいた。
トーナメント表は事前に雑誌で見ていたので、
2回勝てば再び3回戦で播戸選手と対戦する事はわかっていました。
そして1年ぶりに拳を交えたのですが、昨年とは違う恐怖が襲ってきたのでした。
試合の前半で自分の顎に『ゴーン!』と言う衝撃が走りました!見事に左の『上段膝蹴り』が決まっていたのです。
見えていなかったので顎にいきなり衝撃が走りました!
そのまま尻餅をつき後ろに倒れましたが、すぐに起き上がったので技ありで済みました。
どうせだったらこの膝蹴りで眠らせて欲しかったです!
その後は昨年同様、パンチの雨霰!左の鍵突きを効かされて体は「く」の字に…。
技ありで合わせて一本負けとなりました。
試合後、稽古仲間の友達に播戸選手どうだった?と聞かれ、自分は『あの人は人間じゃねぇー!宇宙人だ!』と言ってしまいました。
それ以来、自分とその友達は播戸選手の事を宇宙人!と呼んでいました。(播戸選手すみませんでした)
ちなみに、今でも試合会場でお会いすると、気さくに話しかけて頂いております。
2人目は、言わずと知れた新極真会の軽量級の雄!『人間風車』の異名をとる、谷川光選手です。
谷川選手とは、98年の極真会館主催 第15回全日本ウエイト制空手道選手権大会の軽中量級の準々決勝で対戦しました。
もちろん今まで対戦した選手の中でもっとも実績があり、フルコンタクト空手道の軽量級の世界の中でもレジェンドの一人です。
試合前から雑誌にてトーナメント表は確認していたので、3回勝てば谷川選手と対戦する事はわかっていました。
初日に3回戦まで終え本戦出場の権利を勝ち取りました!
二日目は、夢にまで見た極真会館の全日本ウエイト制の入場行進です。
この入場行進の時に衝撃が訪れました。
入場をするためゼッケンの若い方から順番に並びます。
軽中量級は、先頭が谷川選手、次に栗原、茂木選手(ワールドカップ日本代表、全日本ウェイト制軽量級準優勝)と並びます。
谷川選手と茂木選手に挟まれているだけでも夢かと思うひと時でした。
しかしそんな夢も一瞬で吹っ飛びました!
それは後ろから見た谷川選手の背中でした!
谷川選手の背中は、まるで亀の甲羅のようでした。
背中の筋肉群はヒットマッスルと言うくらい、強いパンチを打つのには必要な筋肉と言われています。
この背中が世界を制したのか…。
自分は夢の世界から現実の世界へと亀の甲羅で呼びも出されました。
試合内容の実力差は歴然でした。
3分間の最初の1分位はお互い打ち合っていましたが、
後半にかけては谷川選手は得意の風車も使わず、蹴りもあまり使わず、自分の胸骨への一点集中攻撃でした。
自分も応援してくれている空手道MACの仲間の為に恥ずかしい所は見せられないと思い、最後まで戦い抜きました。
生まれて初めて胴回し回転蹴りも出してみましたが、結果は5−0の本戦判定負けでした。
ここぞと決めたら集中してたたみ掛ける怒涛の攻撃!
自分の場合は胸骨に的を絞られ集中的に責められてしまいましたが、
さすがとしか言いようがありません。
お蔭様で帰りの車の中では胸骨の痛みのため身動きがとれず、
しばらくは胸の痛みと耐える年月が続きました。
そんな谷川選手も新極真会のジュニア大会の会場で数年ぶりにお会いして挨拶をした際、気さくに話して下さいました。
ちなみに話の内容は、THE BLUE HEARTS の話をしました。
−いままででもっとも大変な怪我はなんですか?どのようにして克服されましたか?
平成15年9月14日、稽古後の自由時間で組手をしていた際、自分の不注意から蹴りを受け損ねて右膝の前十字靭帯断裂と半月板損傷をしてしまいました。
しばらく保存療法をしましたが、痛みが日常生活に影響してき為、専門的な病院に変え、切れた前十字靭帯の摘出と半月板の部分切除の手術をしました。
痛みの原因は切れた前十字靭帯が関節の間に癒着してしまい、それが挟まって痛みとなっていたとの事でした。
半月板は思いのほか良好で部分切除はしないでクリーニングですみました。
今現在も前十字靭帯は切れたままですし、大きな膝崩れ(捻りなどの負荷が加わり膝が一瞬ガク!っと、崩れるようになる状態)を4回ほどしてしまっているので、半月板もだいぶ傷んでいるようです。
と言う事で、今年の12月18日(木)に前十字靭帯の再建術(靭帯の移殖手術)と半月板の部分切除の手術を行います。
ですから、まだ怪我の克服はこれからになります!
ちなみに、怪我をしたおかげで、自分の選手としての活動が出来なくなったので、
道場の運営や指導に集中して出来るようになったので結果的によかったです!
−怪我やコンディション不良から学んだことはございますか?
選手として大会に定期的に出ていた時の方が大きな怪我しませんでした。
逆に選手をしていない時の方が怪我をしていました。
それは選手の時はきっちりウエイトトレーニングをはじめとする 基礎体力維持・向上の運動をしていたからだと思います。
ウエイトトレーニングと言うと、どうしても最初は、筋肉を付ける為とかパワーを付けるとかパフォーマンスアップのように思われがちですが、
それ以前に傷害予防が1番なんです!
そういう事を理解してトレーニングを取り入れるといいと思います。
結果、筋肉が付いたりパワーが付いたりしますので…。
つまり選手で無くなった時期は、基礎体力の維持・向上のトレーニングを疎かにしてしまっていたのですね〜。
だから怪我が多いんだと自己分析しています。
あと、もともと椎体辺縁分離と言う椎体の骨端部分の傷害があり腰は強い方ではないのですが、
腰椎椎間板ヘルニア(4番目と5番目の腰椎の間)にもなってしまい、1年半位、右の臀部から踝に掛けての坐骨神経痛が出ていたのです。
自分なりの推測なので何ともいえませんが、ヘルニアになる前に道場の稽古環境が変わったのです。
本来ならばそれに伴いトレーニングのルーティンも変えなければいけなかったのですが、
従来通りやり方でやっていましたら、だんだんと腰に違和感が出てきまして、
そして子どもが夜鳴きして朝方の5時頃、あぐらをかいた状態で抱っこしてユラユラさせていたら、
『ビクーン!』と右の腰から臀部にかけて電流が走りました!
それから1年半、坐骨神経痛でした。
最悪の時は靴下もまともにはけない状態でした。
と言う事で、何か始めたり、何かをやめたり、種類が変わったり、頻度が変わったり、
環境が変わった時こそ注意してトレーニングや稽古内容を見つめ直さないといけないなぁとこのヘルニア事件で学びました。
−現在は指導をされているということですが、カラテ指導者として大切にしていることは何で しょうか?また、安全対策で気を使っていることはございますか?
自分の中で道場の在り方と言うか、道場のポリシーと言うのがあってそれは『社会体育』なんです。
一部の選び抜かれた人達や、特別な立場の人達ではなく、ごく一般的な普通の人達が、
学校でもなく、部活でもなく、職場でもなく、家庭でもなく、地域社会において体育活動を行ないながら、
共に学びあい成長していく場です。
この体育活動が自分は空手道と言う武道なんです。
小学生だけとっても約10校の近隣の小学校から子ども達が集まってきています。
その中には、おしゃべりな子もいれば無口な子もいるし、
運動が得意な子もいればそうでない子もいます。
野球やサッカー、水泳など別にやっている子もいます。
様々な違う環境の子達が一緒になって一つの事を集中して頑張る!
そこできっといろいろな情報が混ざり合って子ども達の経験や体験に繋がると思うんです。
一般部でもそうです。
道場の近くの中学校では2年生になると職業体験と言う実習があるそうで、
近隣の商業施設などに4〜5日行って体験実習するそうなんですが、
半分冗談で一般部の稽古の時に参加している中学生に学校の職業体験にいかなくたって、
道場に来てれば職業体験できちゃうよ!って言いました。
一般部に稽古しに来ている大人部の道場生には自営業もいれば会社員もいますし、
看護婦さんだって、電気屋さんだって、大工さんだって、IT関係だって、
いろいろな方々が同じ空手道で汗を流しています。
中学生と大人達が自分の世界と違う人たちと混ざり合うことで新しい発見や学びは生まれてくると思います。
学校だけ仕事だけ家庭だけではできない事を、
空手道と言う武道を通して体験して頂きたいと思っています。
と言う前提があって質問の空手指導者として大切にしている事は?の答えですが、
もちろん基本的な礼儀、礼節は大前提の上での話ですが、
こういう様々な体験の出来る環境や場面、タイミングなどを提供、セッティングする事ではないでしょうか?
通常の稽古でも子ども達とのコミュニケーションを大切に目線を合わせて話をしたり、イベントなども沢山やります。
バス遠足や夏合宿、演武会、クリスマス会、お餅つき大会、節分豆まきなどなど…。
一般部でもいろいろとクダラナイ話しをしながらコミュニケーションしています。(たまに横道にそれすぎてしまいますが…)
それが自分にとっての空手道なんです。
安全対策で気を使っている事ですが、
具体的な例は沢山ありますが、自分自身に『安全が一番大切なんだよ!』と言い聞かせ、
自分自身に意識させる事を一番に気を付けています。
子ども達にはルールを明確にして道場内でやってはいけない事を覚えてもらっています。
少年部でも強化クラス(選手クラス)や一般部ではとにかく声掛けです。
怪我が一番心配なので対人稽古やスパーリングの前には毎回必ず注意事項を自分から伝えて道場生に意識してもらっています。
またお互いに声を掛け合い怪我の有無を全員で共通理解でききるようにしています。
−選手経験者として、また指導者として格闘技医学に期待することはございますか?
自分は過去に民間のフィットネスクラブで7年間、インストラクター(トレーナー)をしてきた経験や、
治療院でマッサージの仕事をしてきた経験があるので、
空手道という武道を競技的に見て、トレーニングだったり試合に向けてのコンディショニングであったりを、
科学的と言ったら大袈裟かもしれませんが、実践し学んできながらやってきました。
また選手としての後半は、社会人となり少ない稽古時間でなるべく効果を出すためには、
より効率のよいトレーニングが必要だったのでそういった環境も相成って実践してきました。
もちろんフルコンタクト空手道は最後は根性なので、
どんな科学的で理論的なトレーニングをしても根性がなければ意味が無いのは前提ですが…。
そういった考えなので、
格闘技ドクターの活動をインターネットで知った時は正直、「やられたー!」と言うか、
でもこういった考えを持って活動する人がいて当たり前の時代になったんだよなーと思いました。
ただ実際、指導の現場にいて思う事はそれでもまだまだ理解されていない事が多くあるなあと感じる事があります。
特にジュニア期についてです。大会と言う大きな目標がある分、競技化に偏りすぎ、様々な問題が見られる事があります。
慢性的な怪我や成長痛、勝負至上主義、指導者とのメンタル関係、コンディショニングの維持などなど…。
こういった諸問題が多々見られます。
大人向けの格闘医学的なノウハウは多くあると思いますが、
未来のある、このジュニア期の子ども達向けの格闘医学的なバイブルや指導書、セミナーなどあると勉強になるし、
道場と家庭が同じ土台の上で話し合えるので期待したいと思います。
空手道は『道』ですから、短期的な『点』ではありません。
子ども達を長期的に見ていつまでも空手道と携わっていけるように、
怪我やバーンアウト(燃え尽き症候群)で去って行ってしまうのはあまりにも悲しすぎるので…。
−おっしゃる通り、ジュニアの人気が上がっているだけに、さらなる環境整備が求められるのかも知れませんね!
それでは、今後の目標と、道場・団体のアピールをよろしくお願いします。
サイト・ブログなどのリンクがありましたらそちらもお願いいたします。
今後の目標と言うか一生のテーマなんですが、
自分の周りにもっともっとフルコンタクト空手道を愛する人を増やす事です!
その為にいろいろ考え実行するのが自分の仕事です。
所属団体の空手道MACは、横浜に本部道場を構える本格的フルコンタクト空手道の団体です。
よく横文字のネーミングなので『型』とか稽古していないのでは?
なんて思われる事もあるそうですが、
基本稽古、移動稽古、型稽古、しっかりやっています。
また、毎年、日本最大級の参加人数と規模を誇る『ジャパンカップジュニア空手道選手権大会』を3月に横浜国際プールメインアリーナにて開催しているので、
ジュニア空手だけでは?と思われている方もいるかもしれませんが、
一般部においても毎年、極真会館、白蓮会館などの全日本大会に出場し両団体においての世界大会にも選手が選出されております
(全日本極真連合会主催 2008年1月沖縄にて)
また、関東近郊の新人戦にも一般部の選手は多数参加しており皆活躍しております。
ですから空手道MACは ジュニアから一般部までバランスよく活動している団体です。
さらに、空手道MACの渡辺正彦代表を中心に『JKJO』(全日本空手審判機構)と言う
大会における審判技術の向上やルールの統一化を目的とした任意の有効団体の集合体を作り、
全国的に広がった活動をしております。
このJKJOは全国を9ブロックに分け各地区ごとに検定員を設け
審判講習会を定期的に開き技術の向上とルールの統一化を図っています。
昨年は(2007年12月)は、この9ブロックからの代表選抜チームによる全日本ジュニア大会も開催され、
本当の意味での全日本大会が開催されました。今年(2008年12月)開催予定です。
こういった感じで、空手道MACは、
団体をあげてフルコンタクト空手道の社会的地位の向上に努めております。
最後に私事ですが、関東近郊のフルコンタクト空手道の試合には審判員やセコンドとして顔を出しておりますので、
お気軽に声を掛けて下さい。
押忍!
空手道MACオフィシャルサイト 『http://www.karatedo-mac.com/』
ラベル:空手